リムナンテスは愉快な気分

徒然なるままに、言語、数学、音楽、プログラミング、時々人生についての記事を書きます

詭弁・誤謬論 2 論理包含と誤謬

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正直言うと筆者自身が勉強中なので至らない所(つまり誤謬)があるかもしれない。もし発見したらコメント欄かどこかにでも連絡して頂けると幸いです。


とりあえず命題論理において誤った論証をすることで発生する誤謬について取り上げたいと思う。誤謬についてはアリストテレスが考えてたくらいなので、歴史的には恐らく三段論法あたりから始めるのが筋なのだろう。が、命題論理のほうがわかりやすいし馴染みがあるはずなので、こちらを取り上げることにする。まあ命題論理と言っても高校数学レベルのお話ですが。



目次

論理包含

論理包含について軽くおさらい。
P→Q(PならばQ)とは「Pが成り立てばQが成り立つ」ということ。
これを集合で考えると、PがQに含まれている、つまりQはPを包含する。これを図で表現したものがオイラー図。

故に論理包含
例えばPを偶数、Qを整数とすれば(全体集合は全ての数)

1とか9とかは奇数なのでPに含まれない。しかし整数であるからQには含まれる。なのでPの外、Qの中に属する。

で、P、Q、P→Qの真偽(TF)で整理すると、

P Q P→Q
T T T
T F F
F T T
F F T

Pが真(偶数)、Qも真(整数)となるような数を考える。偶数なら整数なのでP→Qは真。一方でPが真、Qが偽(整数でない)なる数を考えると、偶数であるのに整数でない数は存在しないのでP→Qは偽。

次にPが偽(偶数でない)のときを考えましょう。このとき、Qの真偽に関わらずP→Qは真となる。これが直感的でない。
Pが偽、Qが真となるような数を考える。つまり偶数でない整数=奇数。奇数の範囲でP→Qは問題なく成立するのでP→Qは真。
また、PもQも偽のとき、この範囲でもP→Qは満たされるのでP→Qは真。

偶に混同されているらいしいけど、ベン図とオイラー図は別物。

後件肯定の虚偽

もしPならばQである。
Qである。
したがってPである。

大前提(最初の条件文)におけるPを前件、Qを後件と言う。ここでは小前提で「後件」を「肯定」している(Qである)ので「後件肯定」。

クジラは哺乳類である。
人間は哺乳類である。
したがって人間はクジラである。

後件肯定を使うと簡単にレッテル張りができる。

犯罪者はアニメ好きだった。
あいつはアニメをよく見ている。
あいつ犯罪者予備軍。

そんなわけあるか。
後件肯定、これつまりP→Qが成り立つ時、Q→P(逆)が成り立つと言っているがベン図を書けば間違いなのは明らか。故意でなく使ってる奴は間違いなく馬鹿だと思った方がいい。マス○ミとか。

後件肯定を複数回適用して根拠を示した気になってる残念な人もいる。(これは実話だが)twitterでこんな言明を見つけた。

日本語は母音が5つ、名詞の複数形がない、同じ意味の単語がある、SVO語順である。
アイヌ語も母音が5つで名詞の複数形がない、同じ意味の単語がある、SVO語順である。
したがってアイヌ語は日本語である。

どうでもいいけど、この論証が妥当だったらラテン語でも成り立つことになるのでおかしい。

ちなみにPとQが同値なら何の問題もない。

22時ならば午後10時である。
午後10時である。
したがって22時である。

前件否定の虚偽

もしPならばQである。
Pではない。
したがってQではない。

小前提(第2文)において、前件であるPを否定しているので前件否定

クジラは哺乳類である。
クジラではない。
したがって哺乳類ではない。

当然クジラでない哺乳類は沢山いる。これもベン図を書けばわかるが、P→Qが成り立つときに¬P→¬Q(裏)が成り立つとは限らない(¬Q→¬P(対偶)なら成り立つ)。

受験生に対して「夏を制する者は受験を制す」と良く言ったりするのですが、恐らくこういうことを言う人は「夏サボったら落ちるよ」みたいな圧をかけたいのだろう(直接は言わないところが嫌らしい)。

勉強さぼると落ちる。
勉強さぼらなかった。
したがって落ちない。

後件肯定の時もそうなのだけれど、一つ注意しないといけないのは、大前提(第1文)の現実的な真偽は問われないということ。




形式的誤謬は結果として正しいことを言っているかもしれない(し、正しいことがある、ということは形式的に証明できる)が、根拠として妥当ではないということに注意したい。


参考引用
命題論理 - Wikipedia