リムナンテスは愉快な気分

徒然なるままに、言語、数学、音楽、プログラミング、時々人生についての記事を書きます

結局のところプライベートを充足させれば社畜を回避できるのではないだろうか

表題の通り。つれづれなるままに書き散らします。



1日の定時労働時間は8時間…と見せかけて拘束時間が9時間。通勤時間が前後にあるので少なくとも1日あたり11時間を資本家に差し出すことでお賃金をもらうのが現代の奴隷労働者。残業がある場合は捧げる時間がさらに増えるわけですが。



もともと8時間労働というのは産業革命時代の産物である。当時の労働者は時間の限り働かされていたが、「8時間労働し、8時間睡眠、8時間プライベート」の元で労働時間のupperが8時間となった。

なんかそうやって聞くとプライベートが8時間もあるじゃんと思いつつも、でも実感として8時間もプライベートない。あるいは8時間も寝てる時間がないというのが率直な感想だと思う。通勤時間や昼休憩でプライベートまたは睡眠時間が削られていくのでそれはそうなのだけれども。



人間に与えられた1日は平等に24時間。平日とかに仕事だけをしているとどうなるかというと、人生が仕事一色になるという悲劇が発生します。ワーカーホリックになりたくない労働者階級が目指すべきは、「仕事」量と「遊び」量の体感時間を(自分が満足する状態に)調整することではないか。「仕事は適当に。遊びは真剣に。」ではないが、プライベートの可処分時間を増やして密度を上げるが、自分の思う今のところの最適解になりそうです。

そのためには、拘束時間外で極力仕事をしないようにうまくやりくりする必要がある。楽に早く60点くらいの利益を出す。多分そうすると結果的にメリハリがついて労働者としての能力も向上するのではないだろうか。これは「社会人たるもの〜」みたいな道徳ではなく、プライベートを人生の主体にするための方策である。つまり、物理的にも精神的にもプライベートを増やすのが目的であって、仕事で能力が身につくのは(我々からしたら)結果でしかない。(職務遂行能力を上げることが目的になっている言説は、労働者を使役する立場や資本家の都合がいいように言っているにすぎない。多分純粋に職務遂行能力を上げるだけだと、資本主義の奴隷になるだけ。まあ得られる結果は一緒なんですが。)

それから、「楽に働こうと思ってはいけない」みたいなことを言ってしまう奴隷の言葉には絶対に耳を貸してはいけない。むしろ楽に稼ぐための方法を常に考えるべきである。楽に働くなんて甘えだと言う人は、時間かけて苦労すれば金がもらえるという思想に甘えている。唯一楽してはいけないのは、「どうすれば楽に金を稼げるかを考える」こと。時間的にも労力的にも。あれもこれも全てはプライベートの時間を増やすためである。



仕事が楽しい人は仕事してください。自分のやりたいことが仕事になっている人も仕事してください。よく自分のやりたいことを仕事にするべき的な論調を見かけますが、やりたいことで、できることで、喜ばれることであるなんていう運のいいことはそうそうないですよ。そんな都合よく需要があるわけないじゃないですか。というわけで、自己実現はプライベートでやるという生き方に割り切ってしまってもいいんじゃあないでしょうか。仕事の成果とか成長とか富とか名誉とかが大事なのではなく、今日食べる飯とかコーヒー飲みながら本読む時間とか何となく数学する時間とか麻雀する時間を大事にする生き方、よいではないか。人類は全て墓場がゴールなんだよ。荼毘に付されたら無ですよ。この世なんて何の意味もないね。

あと個人的には、趣味を仕事にすると趣味が趣味でなくなるのが何となく嫌だなというのもある。極力趣味でやってることが仕事にも役立てるように近づけた方が効率良さそうだとは思いますけどね。



…といって開き直りすぎて仕事さぼりすぎると別の意味で奴隷になるので、

プライベートを本気で充実させる→そのために時間増やしたいから適当に仕事で成果を出すことに本気になる→そのためには拘束時間内で終わらせる精神力が必要→精神力を保つためには体力が必要→運動

という思考に持っていくのが社畜回避の方策になりうるのではないだろうか。
というわけで運動すれば万事解決。