リムナンテスは愉快な気分

徒然なるままに、言語、数学、音楽、プログラミング、時々人生についての記事を書きます

演繹的学習と帰納的学習

勉強の「手順」について考えたことがあるだろうか。

これまで幾多の試験を受けてきた身としては、2種類あるんじゃないかと考えた。

 

 

・演繹的学習

教科書を読む→理解する→問題を解く→そのうち解けるようになる…?

 

帰納的学習

とりあえず問題を解く→なんとなく理解する→教科書を読む→だんだんわかるようになる…?

 

前者は一般普遍的な前提(教科書)から個別特殊な結論(問題を解く)を得るという意味で演繹、

後者はその逆で個別特殊な事象(問題を解く)から一般普遍的な法則(教科書)を導くという意味で帰納と名付けてみた。

 

おそらく世に言う「勉強」というのは演繹的学習をイメージされているのではないだろうか。

そして学校で行われる授業→試験のシステムは演繹的学習のように思える。

 

個人差があるかもしれないが、理論体系を習得してから個別事象に対処しようというのは無理がある。

そもそも理論体系というのは、個別の事象を説明するために構築されたものであって、個別事象も知らないのに体系もくそもあるのか。

犬も猫も魚も蜥蜴も知らないのに動物なる体系を認識するようなものである。

 

そもそもなんで演繹的に考えるのかといえば、かつて神の力が大きかった古代欧州、地中海において、人間の理で自然科学してはならなかった(理論=神から導くのはOK)からであり、今時そんな頭の容量食うような考え方するのもどうなのだろうか。

 

世の中PDCAだとかなんだとかよくわからないのが流行っているが、結局のところ帰納法的思考に基づいた行動が効率良いのである。むしろ帰納的に得られた結果を問題に適用するのであれば同じことを言っているに過ぎない。