リムナンテスは愉快な気分

徒然なるままに、言語、数学、音楽、プログラミング、時々人生についての記事を書きます

つまらない人間になるな

自戒も込めて

 

世の中にはつまらない人間がたくさんいる。

くだらないことにいちいち突っかかり、どうしようもない言論で人の時間を奪うアホ。そんなこと考えても何にもならなくね?っていう馬鹿。キレる老人。血管キレて御陀仏にならないようにな。

脳死で「批判」する人間、「批判」の対象を間違えてる人間(ここでいう「批判」は本来の批判ではなく、ただの言いがかり、いちゃもん、戯言)。理由の無い主張。意味不明な理屈で畳みかけてきて勝ち誇る超絶馬鹿。救いようがない。

マスコミ他アホの虚言にキャッキャする暇人。満員電車で怒鳴り散らすカス(お前は満員電車向いてないから乗るな)。「自分ルール」に違反した他人を吊るし上げる馬鹿。こういうのは洋の東西問わずうじゃうじゃいる。

 

つまらない人間、というのは他人に害悪を与える系だけではない。

 

ただただ流行に乗っかり、インスタ映え()する写真を上げる。ディ○ニー行きました。U○J行きました。だからどうした。いやまあ別にやることはいいんだけど、それしかないやつはつまらん。独創性の欠片もない。自分も行ったら間違いなくTwitt○rに上げるけど。

 

過去に「楽しい世の中にするのが夢」みたいなことをほざく人間がいた。具体性が全くない。で、何がしたいの?と聞けば「みんなと一緒に何か作りたい」「共感することが大事」とかなんとか。だから何がしたいの?あなた海外行ってたらしいけど、そこで何を学んだの?中身がないから抽象的な言葉に深みが全くない。

いや、理想は立派なんだけど、それを行動に落としきれてない。多分本人は超幸せなんだろうけど、それに振り回されるこちらの身にもなってほしい。なんか拘りがずれてるんだよね。君のせいで余計なもん作らされて損害出たんだけど。

 

この世界って結構複雑で、そういう複雑性の中に生きてこその人間だと思うのだよ。botで十分みたいな人生ってつまらなくないか?ただのうのうと生きてる奴とかな。

 

 

 

さて、ここからが本題。

周りにいるやつがみんなつまらない、と思い始めた時が注意すべき時なのかもしれない。自分自身がつまらない人間になっている可能性が高い。

類は友を呼ぶとは言ったもので、おもしろい人間の所にはおもしろい人間が集まってくるし、つまらない人間の所にはつまらない人間が集まってくる。良い見返りがあるから他人と近づくわけなので、類友もあながち間違ってもないなと思う。良い見返りというのは有形資産である必要はなく、安心感だとか、自己承認だとか、そういうものでも構わない。

 

自分のことを振り返ると、最近は「真面目に勉強しなきゃ」とか「役に立つから」とか「課題やらないと」とか、ガチガチに生きてしまっている。

そうじゃないんだよね。そういう「正解とされている」レールの上を走るだけの人生って最高につまらないよね。

 

こう、うまくは言えないけど、「欲望に忠実」であるほうが結局のところ生き生きとする。「上坂すみれがロシア語喋ってるからロシア語やるわ」とか考えてる方がよっぽど楽しい。

 

曾てオスカーワイルドというホモ野郎(こういうことを言うとPC(ポリティカルコレクトネス)信奉者が絡んできそうだが、言葉の外面だけで文句垂れてくる人間が要するに「つまらない人間」である)がいた。劇作家だし、某百科事典のせいでそこそこ有名人だと思う。

当時はそういうのに厳しい環境だったということもあり、やはり結構尖った人間なのだが、この人の思想は本当に面白い。曰く、

民衆が好まない事柄は

革新である。

 

男は女の

最初の恋人になりたがるが、

女は男の

最後の恋人になりたがる。

 

不正よりも

なお困ったものがひとつだけある。

それは、手に剣を持たぬ正義だ。

他人に蔑まれようが己の意思を曲げなかった人だけあって、人間たるものの本質、核心をついているように思える。オスカーワイルドに限らず、ホモとか、大多数でないもの、いわゆるマイノリティに属する人間の発する言葉には相当の含蓄があるように感じる。偏見かもしれないけど。

 

 

最後にオスカーワイルドのこの言葉で締めくくろう。

人生には選ばなければならない瞬間がある。

自分自身の人生を充分に、

完全に、徹底的に生きるか、

社会が偽善から要求する偽の、

浅薄な、堕落した人生を

だらだらと続けるかの、

どちらかを。