世の中理不尽に感じることは多い。
偽善者たちは正論を振りかざす(大抵無自覚)。道徳的に正しくあろうとするし、それを人に強要する。
自分が自分でやるのは勝手だが、それに振り回されるのはたまったもんじゃない。
本当に世の中に苛立ちを覚えた時は、こう考えてみるといいかもしれない。
目の前の人間はただの炭化水素、その怒声は空気の振動、景色は突き詰めれば光の粒でしかない。
生まれた意味も目的も最初から存在しない。世界に意味なんてない。命の価値など本来的には無に等しい。
だからこそ、自分が物事の価値を決めてもいい、意味を決めてもいい、目的を決めてもいい。
案外他人の言うことが間違っていて、自分が正しいということはまあまああったりする(ただしこれは自分の価値観、自分の行動規範に従えばの話であって、やはり自分にとっては正しいからといって他人にとっても正しいとは限らない)。
己の価値観、判断基準のままにああだこうだ言う人は、その辺の理解が足りてない。
だから心に突き刺さらないし、意味がない。平行線。
他人の行動原理は自分にとってどうでもいいことであり、いちいち聞いて取り入れるのは無駄。
能動的に、恣意的に価値を見出して、本意ある人生を送るのが、自己の主体性を尊重できる生き方なのだろう。